朝や夕方に車で通勤していると、介護保険サービスのデイケアやデイサービスの送迎車をよく見かける方も多いと思います。
屋外に買い物に言ったり、行事ごとにでかけたりという、一昔前では想像できなかったサービスが提供されています。
いい時代になりましたね。
そんな私は仕事の関係上、そのデイケアや老人保健施設に出入りしております。
それで、そこで歌を歌ったり、踊ったり、軽作業なんかのレクリエーションをしている方が大勢いらっしゃいます。
その楽しそうなおじいちゃんやおばあちゃんを見ると、「みんな楽しそう!」と思うのではなく、哀れであり、痛烈に悲しい思いが頭の中を占領します。
もっと突っ込んだことを言えば、自分はそうなる前に死にたいとまで思ってしまうんです。
それはなぜなのか?
というお話です。
楽しそうな高齢者の意思決定は本人によるものなのか!?
楽しそうにレクリエーションを楽しんでいらっしゃる高齢者の方々。
その微笑ましい姿見るたび、ほんわかした気持ちになるのはなるのでありますが、そこで一つの思考がふっと浮かんでくる。いつも。
その思考は、「その介護サービスを受けたいと思ったのは本人の意志は関係しているのか?」ということにほかならない。
もちろん、純粋に楽しんでいる方々がほとんどでしょう。
もっとも全然楽しみではなかったデイケアや老健で過ごす時間が楽しく感じられ、在宅で家族の世話を受けて硬みの狭い生活を送るより、よっぽど楽しい余命を送ることができると喜んでいる人もいるだろう。
自分の思考は少数派でむしろ歪んだものなのかもしれない。
いや、歪んだものなのだろう。
ただ、私は「自分の意思決定は自己責任であり、それを幸にするのも不幸にするのも自分次第だ」と思っている。
であるがゆえ、自らの意志とはほぼ無関係に、家族の都合によってデイケアやデイサービスを利用させられたり、または老健や老人ホームに入所・入居させられた高齢者を見るたびに非常に悲しくなるのだ。
そして、そうなる前に自分は死んでしまいたいと。
下の世話をされるくらいなら死んだ方がマシだ。
その世話をする人が気の毒だ。
下の世話という、誰でも嫌なことを安い給料でしている方は本当にすごいと思うわけですが、税金やお金の流れを少し勉強すると、介護保険なんてなくていいと強烈に思うわけで、介護保険管轄は開始当初から失敗する運命です。
そんな思考から。